「ふりかえる」ときにおこる意識の変容…不思議です。
実際に外を歩きながらためしてみるといいですね。
前を向いて歩くときまわりの景色は歩くたびに変わっていきます。ですが、わりと景色は平面的にみえています。
立ち止まってふりかえってみると、まわりの景色は全くちがった印象にみえます。前だけ見ている時よりも立体的で奥行きがあり、色も少し鮮やかです。そして今いる場所がこころなしか味わい深く感じられます。不思議です。
なにかこう…今いるところがよくわかるというような。…ちょっと大げさに言いますと今何処にいるのか?何処からきて何処に行こうとしているのか?…いろいろな意味で今の状況がよく吟味できるのです。
昔、自動車免許の教習所で、運転中バックミラーもチラチラと見るように教わったことがあります。後ろの状況がわかっていると車の流れがわかるからというのです。
これはこころの中でおこることについてもまったくおなじことがいえます。ふりかえると今迄と今いるところがわかるのです。
仏教では想いの連続体が「こころ」であるといいます。わたしたちは無意識でいると想いの連続体を生きているのです。想いの連続体とは過去現在未来の想いと時間の流れです。前だけ見て歩いている意識だとはじめは新鮮でも、いつの間にか過去現在未来の流れの中にとらわれてしまいます。
今ここ。あるがまま。先入観なく。…というつもりでも「立ち止まってここまでを一瞬ふりかえって」みないと新鮮な今ここが戻ってはこないのです。おなじ感覚をなぞっていることになかなか気づきません。
「新鮮な今ここ」を生き、ふとしたきっかけで新たな波や流れをキャッチできる創造的な方は、一瞬一瞬上手に立ち止まってふりかえっているのです。本能的にかもしれませんが。
ふと立ち止まってそしてふりかえった瞬間にその想いの連続体は止まり、消えます。すると「今ここ」が自然と浮かび上がります。…次の瞬間、さらに視野は拡大しちょっとクリアに目覚めた「今ここ」の意識でまわり全体を見渡すことになります…「今いるところ」そして委ねている「流れ」がわかるのです。
この「流れ」が感じとれると 今生きている現実の「質(クオリティ)」が、計りとれるのです。これは無意識の智恵。魂の知性です。それを五感の延長に昆虫の触覚のように使います。
「全体像(全体性)」と「流れ」と「質(クオリティ)」が、「わかる」のです。誰でも自然にわかります。魂の本能的なバランスの智恵が働くからです。
それで、さらに今最も大切な事、これまでとはちがう今新たに最も大切なこと、今ここで体験している現実の本当のところが観えてくるのです。
東洋哲学でいうところの「空」よりもさらに意識が広がった「無」から 「今ここ」を描き出すという説明も可能です。西洋の神秘主義のカバラの0 00 000もこのことと関係しています。
無からはじめられると…
それぞれのちがった宇宙を対等に共存させることができるようになります。
自分や相手の人生観や哲学がそれぞれを制限しなくなります。
それぞれの限界がそれぞれの限界でなく無限の可能性に変わります。
予定調和を脱し新鮮なインスピレーションを共同創造に役立てるようになります。
一瞬一瞬ふりかえります。それで一瞬一瞬が新鮮な今ここになります。一瞬一瞬新鮮な感覚と意識で観るようになります。
そうなれば誰でも…新鮮な一瞬一瞬。輝きのある現実。問題意識よりもみえない兆しとイキイキと対話しながら、カウンセリング、ヒーリング、セラピー、リーディング、ボディーワーク、ワークショップ、治療、コンサルティング、トレーニング、講演、執筆、共同研究、プロデュース、ものづくり、音楽や絵画、舞踊、演劇など芸術活動…あらゆる瞬間瞬間を描き出していけるようになるでしょう。
このように…ふりかえりの一瞬の意識の変容…これは魂の最も大切な働きのひとつなのです。
photo:vurtual.tumblr.com
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