魂の心理学

あなたの魂の素晴らしい働きをご紹介していきます。日常に役立つ知識=フォースです。

◆大切な方の死〜悲嘆のプロセス〜生きる力

f:id:asadaseiichi1213:20190602083930j:plain



 

死。

 

 

今までこの世に存在していた大切な方がこの世にはもう存在しないということの不思議はなんとも理解のしようがありません。いろいろな思いが湧き上がってきますが今までここにいた大切な人の存在感が消えてしまっているのを感じて死というのは本当に神聖な出来事なのだと実感します。それだけにショックは圧倒的なものです。なかなか死の事実を受け止められません。深い悲しみの中、大切な人と共にすごした日々を何度も反芻しながら少しずつ少しずつ死を受け入れていきます。

 

 

大切な人の死は残された方にとっては生きるチャレンジでもあります。でもこの時期大切なことはまずしっかりと「嘆く」こと。そして嘆いている自分自身の在り方に気づいていることであると「死の準備教育」を日本で30年以上説いているアルフォンス・デーケン元上智大学名誉教授は説明しています。日本では死についての教育が適切になされていない。どこかタブーになっている。ドイツでは小学校でも人形劇や話し合いを交えて死についてじっくり考える授業もずっと前からおこなわれているのだそうです。

 

 

デーケン氏は悲嘆のプロセスには12段階あると言います。

もちろんこれらの段階はすべてくるわけでないし順番通りにおこるとも限らない。

ただ無意識にある段階にとどまりつづけてしまうと心身の不調和、病気にもつながることがあるといいます。

 

 

あとイエズス会司祭でもあるデーケン氏が死の哲学と死の準備教育をライフワークとする決定的なきっかけになったある看取り体験についてのインタビューのテレビ番組の書き起こしがありましたので併せてご紹介いたします。

 

 

 

インタビュー

 

聞き手: どんな体験をなされましたか。

 

デーケン: 一つは私にとって特に大切な病院の中の体験でした。ある中年期の男の人は東ドイツからの亡命者でしたね。彼は、西ドイツには親戚・友だちが一人もいなかったんですね。彼は末期ガンでした。そして私は医者から言われました。「彼はあとおそらく三時間位ですけれどもよろしく側に居て下さい。ほかに誰もいないからね」と。私はその時初めて、「あ、後三時間で死ぬという。何を話していいか」とか。その時、気が付いたのは、普通の人間関係の話題にするのは、政治であるとか、天気であるとか、或いは野球である─ドイツは野球であるよりもその時はサッカーでしたけれども。例えば誰が勝った、或いは負けたか。そのようなことは後三時間で死ぬ人にとって全然興味がないでしょう。何がほんとにそういう人にとって大切であるか、と。私は、そこでモーツアルトのレコードを持っていました。それをかけて音楽を聴きながらいよいよ一緒に祈るようになったんですね。その時、祈りながら、彼は凄く喜んだ、と感じました。その時、私は気が付いたのは、私は、「今何をするのか」よりも、「側にいる。共にいる」ということ。英語でいつも「doing」と「being」をよく区別しました。「何をするか」よりも、「共にいる。側にいる」ということが重大だ、と感じましたね。そして私は、その時、自分の人生の一番長い三時間になったんですね。

 

聞き手:     末期ガン患者にとっては、その時間で新たに何か治療を受けるわけでもありませんでしょう。そのデーケンさんが側にずーっといらっしゃった、ということは、どういう意味を持ったんでしょう。

 

デーケン: 私は手を握って側に坐ったんですけども、今振り返ってみますと、彼はそれほどたくさん話すこと出来なかったけども、もしかしたら、「ああ、やっぱり私は独りぼっちではない」ということは、その握手によって感じたんじゃないか、と思いますね。彼の親戚は西ドイツには一人もいなかった、亡命者でしたからね。ですからそういう意味で、「誰か側にいる」ということは、彼にとって最期の時の孤独を乗り越える道だったかも知れませんね。

 

ナレーター: この体験の二年後、デーケンさんは、哲学者・ガブリエルマルセル(Marcel,Gabriel:フランスのカトリック思想家・哲学者。パリ大学教授、モンペリエ大学教授を歴任。また一方で文筆活動をおこない、劇作・詩・評論活動を通じて欧州思想界を指導、その思想はキリスト教実存主義の立場をとる:1889-1973)と出会います。人間が直面する現実を、「問題の次元」と「神秘の次元」とに区別して考えるマルセルの哲学は、その後のデーケンさんの考え方の基礎ともなりました。

 

デーケン: フランスの実存哲学者・ガブリエルマルセルの講義を聴いた時は、もの凄く印象に残ったのは、「問題」と「神秘」ですね。フランス語で、「問題」は「problème」、「神秘」は「mystère」。英語も、「probleme」と「mystery」という区別がありますけども、それは私のいろんな今までの問いに対する鍵のようになったんですね。「問題」ということは、これは私たちは客観的に見て、「how to」で、問題を解決出来るんですね。例えば医者は、もし患者がガンになって、どのガンで、どの手術をやって、どの薬で治すことが出来るか。これは問題解決のレベルですね。けれども、私は今まで体験したことは、例えば治らない患者ですね、例えば妹である(デーケン氏の妹は幼くして白血病で亡くなっている)、或いはこの一緒に過ごした患者、或いは例えば悪という戦争とか、殺すこととか、或いは勿論聖書の愛とか、出会いとか、単なる問題のレベルじゃなくて、もっと深い次元がある。これはマルセルによれば、それは神秘のレベルですね。私たちは完全に理解出来ないんですけども、そういうこともあるということ。「問題」は知識です。知識によってhow toで解決出来るということですね。しかし「神秘」ということは、やっぱり違う態度が必要ですね。例えば「驚き」とか、昔からギリシャ人も、「驚きは哲学の初めなり」という有名な文章があります。「驚き」とか、そして「畏敬の念」、そして、「謙遜に自分の限界を認める態度」ですね。自分でコントロール出来ないでしょう。最後の段階で患者は死ぬんですね。もう医者もそれはコントロールできないんですね。「自分の限界を謙虚に認める」という基本的な態度は、「神秘に対して大切だ」と、マルセルは強調したんですね。私はその講義を聴いてから、ほんとに今までずーっと理解出来なかった問いに対する大切な答えになった感じでしたね。何故妹は死ななければならなかったか。何故祖父は射殺されなければならなかったか。簡単な答はないんですね。けどもそういう体験があったから、私にとって大切な転機になった。例えば、「死について考えさせられた」とか、或いは、「時間の尊さを発見した」とか、「いろんなプラスもあった」と思いますね。しかし簡単な問題解決はあり得ないんですね。簡単な答もないんですね。今までもまだ分からないんですね。でもそういう「深みのある、神秘である次元がある」ということは凄く重大だ、と思いますね。

 

聞き手: そういう「神秘のレベルもある」ということに気が付きますと、人はどういうふうに変わることが出来るんでしょうか。

 

デーケン: 例えば具体的に、末期患者さんは、「もう治る可能性がない末期患者である」と言われて、それで大勢の医者は、「あ、何も出来ない」と言っていますね。何も出来ないということじゃないんですね。まだ患者さんにとって残されている僅かな時間ですけれども、「大切な時間だ」ということは、「見捨てないで、最後に側にいる」ということもまだ出来るんですね。しかし大勢の医者は、治すことが出来ないと、「何も出来ない」という間違った表現をよく使っていますね。私は、時々家族や遺族からそういう怒りも感じますね。「医者は家の父に向かって、母に向かって何にも出来ない」と言ったということを凄く怒っていますね。

 

聞き手: 手の施しようがない。

 

デーケン: そう。「治すことは出来ない」という意味ですね。しかし「何にも出来ない」ということではないんですね。

 

書き起こしされている方のサイトです。つづきが読めます。

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-17.htm

 

 

 

★悲嘆のプロセス12段階…

 

1.精神的打撃と麻痺状態

愛する人の死という衝撃により現実感覚が麻痺するショック状態。

 

2.否認

愛する人の死という事実を受け入れることが出来ない。

 

3.パニック

身近な人の死に直面した恐怖からパニック状態になる。なにをどうしていいかわからない。

 

4.怒りと不当感

「なぜ私(あの人)がこんな目に!」不当な仕打ちを受けたという感情が湧き上がる。加害者、運命、神、自分に対する強い怒りを感じる。

 

5.敵意とうらみ

周囲の人々や故人に対してやり場のない感情をぶつける。スケープゴートを探してしまう。

 

6.罪悪感

後悔、自責。もっとこうしてあげていれば

 

7.空想形成、幻想

亡くなった人がまだ生きていると思いこみそのように振舞ってしまう。

 

8.孤独感と抑うつ

大切な人の死に際する様々な事がひと段落すると、ぽっかりと穴の空いたような孤独感が襲って来て気持ちが沈みこむ。

 

9.精神的混乱とアパシー(無関心)

生きる張り合いが感じられなくなり虚しくなり何事にも興味関心が向かなくなってしまう。

 

10.あきらめ-受容

大切な人が亡くなったというつらい現実を勇気を持って受け止めようとしはじめる。

 

11.新たな希望、ユーモアと笑いの再発見

大切な人が亡くなった事を受け入れることが出来、生きることに新たな希望が感じられるようになる。少しずつ笑顔がもどりユーモアのゆとりがももてるようになる。

 

12.立ち直りの段階、新しいアイデンティティの誕生

いよいよ立ち直りの段階。大切な人を失う以前の自分に戻るのでなく、大切な悲嘆のプロセスをじっくりと経験しより成熟したわたしへと生まれ変わっていく。

 

 

★魂の心理学から…

 

これは個人的な体験からくる実感ですが、もし残された方が亡くなった方の死に立ち会えないとか、分かり合えずこころ残りや後悔があったとしても、その方は亡くなるとすべて理解できます。ご自身の人生におこったあらゆることがらの真実の姿、ご自分の間違いも残された方々の気持ちや限界も完全に理解してくれているのです。魂そのものの目覚めた状態にもどるからです。

 

 

魂の心理学FBページhttps://m.facebook.com/profile.php?id=532356846865232

魂の心理学ブログhttp://asadaseiichi1213.hatenablog.com/

浅田誠一オフィシャルWEBsite http://seiichiiasada.sakura.ne.jp/index.html